【巨人】吉川尚輝の生い立ち:幼少期での父・母と兄弟との関係は?

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吉川尚輝は、平成の怪物松坂大輔からプロ一号を放った日に家族への感謝をコメントしています。

「野球をここまでやらせてもらったのでこの舞台に来ることができた。両親、兄2人と家族にはすごく感謝しています」。

吉川尚輝の実家が “吉川養鶏” という養鶏農家です。

また、吉川尚輝お兄さん夫婦が “たまご屋さんのCOCCOPURIO” というお店を始めいます。

そんな実家で吉川尚輝は何故野球に目覚めたのでしょうか?

吉川尚輝のプロフィールは?

名前     吉川 尚輝(よしかわ なおき)

出身地    岐阜県羽島市

体重     79キロ

身長     177cm

ポジション  内野手

投打     右投げ左打ち

吉川尚輝は岐阜出身

岐阜県羽島市出身です。

東海道新幹線の岐阜羽島駅から南に数キロ、長良川の近くで育ちました。今の自宅も近所にある。

子供の頃から強い心・負けず嫌いな心を持っていた

5、6歳の保育園時代のことでした。

岐阜・羽島の自宅から約20キロも離れたスーパーへ家族と車で買い物に行った際、店内で迷子になってしまったそうです。

必死に家族で1時間ほど周囲を捜し回ったが、尚輝が発見されたのはなんとスーパーから2~3キロ離れた路上でした。

母・陽子さんは「もう夕方で暗くなりかけていたのに、泣くこともなく、1人で自宅方面へ向かって歩きだしていたんです」とその強心臓ぶりを明かす。「親ながらびっくりです。普通の子ならどこかで泣きだしていたり、迷子で保護されたりするものなのに…」と感心するばかりでした。

「たとえゲームでも弟はとにかく負けん気が強い。トランプの大富豪でも自分が勝つまでは絶対にやめず、究極の負けず嫌いなんです」と舌を巻いている。

吉川尚輝の父親から野球を教わる吉川尚輝

吉川尚輝の父親は、76年夏、市岐阜商高の「1番・中堅」で夏の甲子園に出場します。

吉川尚輝の父親は、

「監督や先輩との上下関係が厳しくて、今では考えられませんが、殴る蹴るは当たり前の時代。最初は同級生が50人ほど入部しましたが、最後は17人になっていました。尚輝は足が速いといわれますが、私も足には自信がありまして、50メートルは5秒台。打球が三遊間へ飛べば内野安打になっていました」

吉川尚輝の足や守備のうまさは父親譲りだったんですね。

高校卒業後、社会人野球の東邦ガスに入社。都市対抗には届かなかったものの、11年間現役生活を続けました。

現在も営業職に就くかたわら、吉川も所属した岐阜南ボーイズ(当時・羽島フジボーイズ)で監督を務め、今も中学生を指導しています。

吉川尚輝は田んぼで練習をうける!負けず嫌い

兄と一緒に自宅の庭に「野球場」を造ったそうです。打席までの距離は大人用の18.44メートル。マウンドには土を盛った。そこで2人の兄と白球を追ったようです。

守備の上手さは田んぼノック

「家のすぐ裏が田んぼだったので、田んぼの中で(練習を)やった」といいます。稲の切り株によってボールは不規則にバウンドするようです。

父は下記のようにコメント

しかしそういうところを飛びついて捕っていました。

「パーンと走って、ポーンと反応していました」「田んぼのおかげ」

吉川尚輝の実家は兄が継ぐ!

養鶏農家のような家業をしていると、兄弟の誰かが後を継ぐということになることが多いと思います。

すでにお兄さんがやっているように、吉川選手は野球に専念できるのかもしれませんね。

まとめ

岐阜の星、吉川尚輝!今年は、巨人を代表するバッターに間違いなくなる!!

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