2019年の若林のブレイクは想像以上でしたね。開幕前は吉川尚輝がレギュラーになると思っていたセカンドも若林が見事に務めています。
特に印象的なのが、6月7日、東京ドームの巨人対ロッテ戦に放った打球が右翼席に吸い込まれていった。
待望のプロ1号。しかも父・憲一さん(66)も1972年から10年間大洋に所属した外野手で、1977年に本塁打を記録している。この一発で長嶋茂雄・一茂親子や野村克也・克則親子らに続くプロ野球史上7組目の親子弾でした。
長嶋、野村親子ほど有名ではないが、もう1組の親子鷹を世に知らしめた一発だったわけだったのです。
若林晃弘の幼少期は?父・憲一さんは元横浜大洋ホエールズ選手で一緒に遊ぶ!
若林晃弘のプロフィールは?
名前:若林晃弘
出身地:東京都中野区
生年月日:1993年8月26日
身長:180センチ
体重:77キロ
投打:右投両打
経歴:桐蔭学園高校〜法政大学〜JX-ENEOS-読売ジャイアンツ
2019.7.17 神宮 若林晃弘 pic.twitter.com/pjWLIck768
— 🐰⭐️ (@gpic_) July 17, 2019
父は若林晃弘憲一!元横浜大洋ホエールズ選手の内野手
山梨・甲府商高から1971年ドラフト6位で大洋(現在のDeNAベイスターズ)に入団します。
当初は内野手であったが俊足を評され1974年より外野手に転向となる。
主に代走守備要員として活躍、現役最終年となる1981年には二軍兼任コーチも務めたていました。1981年現役引退します。
現役時代は内野手であったが、俊足を評され1974年より外野手に転向。主に代走守備要員として活躍し現役最終年となる1981年には二軍兼任コーチも務めました。
プロ野球選手の期間はそこまで長くなかったものの、プロ野球選手になった程の逸材ということで、そのDNAを息子晃弘氏も受け継いだのでしょう
2019.7.16(火)明治神宮球場
若様#若林晃弘 pic.twitter.com/x0y9mhTlv6
— Shh…🐿🥐🍭🍬🍫🍿🍩🍖🍗 (@xxsxxhxxhxx) July 16, 2019
若林晃弘の幼少期は?
若林晃弘は父親と野球を遊んでいた
幼少期から元プロ野球選手であった父親と遊びで野球を行なっており、小学校時代はボーイズリーグの世田谷タイガースで硬式野球を始め、中学時代は目黒西シニアでプレーしました。
松井秀喜のフォームを真似ていた
「物事を覚えるのが早くて『これは…』とちょっと思ったね」。テレビで巨人戦を見れば松井秀喜氏のフォームを完璧にまねた。少年野球チームでランダンプレーのやり方を教えるとすぐにコツをつかんで反復練習をしていた。
両打ちは事前と身につけた
両打ちの練習時間を生む準備も自然と身についたそうです。少年野球の練習前日に自ら道具をかばんに詰め、練習後は必ずグラブ、スパイクを教えた通りに磨いていたようです。
父・憲一の若林への言葉は?
現在の活躍には、さぞかし嬉しそうですが、プロ野球の世界の厳しさをしっいる父親は、
「基本に忠実であれ。そしてプロ野球の世界に少しでも長くプレーし続けてほしい」
とエールを送っています。
まとめ
プロでの活躍が一ヶ月続いても落ちていく場合があるのですが、若林はそのまままた調子を上げてきています。
この優勝争いのなかで育ってきている証拠でしょうね。吉川尚輝には経験ができていないことができているのは強みです。レギュラーも目の前です。