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桑田真澄のエピソード!高校時代から甲子園での通算成績・記録が凄い!プロ意識まで!

甲子園のスーパースターといえば、松坂大輔、松井秀喜、原辰徳、元木大介、荒木大輔、ハンカチ王子など数多くの選手がいますが、やっぱり記録でも記憶でもしっかりとしたのはKK(桑田真澄・清原和博)ではないでしょうか。

特に桑田は、PL学園(大阪)のエースとして戦後最多の甲子園通算20勝を挙げ、甲子園歴代2位タイの6本塁打も放ったほどです。

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桑田真澄の高校時代から甲子園でのエピソード・通算成績・記録が凄い!プロ意識まで!

プロフィール

出身地 大阪府八尾市
生年月日 1968年4月1日
身長 174 cm
体重  80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト1位

PL学園時代は甲子園で清原和博の13本塁打に次ぐ、歴代2位タイの6本塁打を放った桑田はドラフト1位でプロ入り後、あまりの野球センスに野手転向が検討されるも投手に専念しました。

桑田真澄のPL学園高校1年生での活躍!低評価からエースまで

入学時は、身長が低く期待はされていなかった。野球をやめようかと母に弱音をはく

高校野球で活躍し、同期の清原和博とともに「KKコンビ」と呼ばれる。

桑田によると、4番は清原、エースは田口権一」という既定路線で、桑田以外の2人の長身の1年生が期待されており、172cmの桑田は「お前はあっちに行っておれ」という扱いだったらしいです。

ある日、母親が練習を見に来た際に「もう投手ではダメなのでPLを辞めようかと思っている」と弱音を吐いたが、母親の言葉は「補欠でもいいから投手として3年間、PLでやり通しなさい」といわれたそうです。

清原の著書『男道』には「桑田は監督から特別メニューを受けており、将来性を見込まれていた」でもあった。

清水一夫との出会い!桑田真澄の才能を見抜く

高校野球で活躍し、同期の清原和博とともに「KKコンビ」と呼ばれる。

高校1年時はPLは投手陣が安定せず、野球部監督の中村順司は、市神港高校・報徳学園の野球部監督として春4回、夏4回の甲子園出場経験があり、神戸製鋼の監督として都市対抗野球で優勝(1977年)した清水一夫を臨時投手コーチとして招聘しました。

この清水が桑田の外野からの返球を見て、球の回転の良さに驚き「おい、あんな選手がおるんか。凄いのがおるじゃないか。学年など関係ない。私に任せてくれ。夏までに立派なピッチャーにしてみせる」と発言し、桑田を投手に戻す。

桑田真澄は清水一夫とマンツーマン指導

桑田にたりないものを指導をしたそうです。

下半身が発達していながら、その使い方を知らなかった。だから足腰、膝の使い方を教えた。それだけでよかったんです。腕のしなり、天性の肩の強さは惚れ惚れするほど。毎日、私が桑田の球を自ら受け、一日、一日成長してゆくのが手に取るように分かったものでした。球の切れ、伸び、変化球の絶妙な使い方、どれをとっても素晴らしかった。」

中年野球 (@kz0MDs1AAdzC35j)さんの最新ツイート 高校野球観戦症 ~キミの本気と出会う夏~ ⚾️日々笑進☆ 野球場バックネット裏

背番号17でレギュラー昇格!

6月打撃も買われての、投手兼外野手としての登録だったが、大阪府大会において、さして強いとは思えないチーム相手に、よたよたとした試合展開でした。

清水一夫が、4回戦のまえに

もし桑田を先発させて負けるようなことがあったら全責任はワシが取ろう。ワシも長いこと野球に関係して来たが、この試合は桑田や。これで負けたら、ワシは一切野球から足を洗おうやないか。」

試合前まで弁当配りやバット運びをしていた1年生桑田の公式戦先発デビューが急遽、決まったそうです。

この試合、清原が公式戦初本塁打で桑田を援護、桑田は相手打線を散発2安打に抑え、完封する。結果で上級生を黙らせた桑田(そして清原)の快進撃がそこから始まる。

背番号11で夏の甲子園に出場!水野の池田学園を完封

事実上のエースとして出場。名前が知られたのは、水野雄仁を擁して史上初の夏春夏の甲子園三連覇を目指した「やまびこ打線」の池田高校を準決勝で7-0と完封してからです。

そしてホームランまでは放ちました。KKコンビと言われながらも最初に頭角をだしたのは桑田真澄だったんですよね。

それまで一度も甲子園で本塁打を打たれたことのない水野から甲子園で初めて本塁打を打った選手でした。

水野の池田高校はCMになるくらい、知名度や競合の高校であったため、当時の甲子園ファンにとっては開いた口がふさがらないようなシーンだったのでしょうね。

1983 桑田真澄 1 甲子園 夏 PL VS 池田

横浜商業高校をやぶり優勝

決勝では横浜商業高校を下して優勝を飾り、学制改革以降最年少優勝投手(15歳)の記録を立てた。

決勝の試合後、「あと4回、甲子園に来て全部勝ちたい」と発言し、記者連中を驚かせる。

高校時代のPL学園2年生での活躍!木内監督率いる取手二高に敗れる

1984年の2年生での春のセンバツ、夏の甲子園はいずれも決勝で敗れ準優勝でした。

夏の甲子園の決勝で対戦した桑田真澄と取手二が有名ですね。

PL学園の前に立ちはだかったのは、後に名門常総学院でも木内幸男が率いる取手二高で、好投手を擁した箕島、鹿児島商工、鎮西を撃破し、決勝に勝ち上がってきました。

地方大会を控えた6月、両校は練習試合で対戦している。PL学園が13-0で圧勝していたのです。

桑田はアクシデントにも苦しんでいた。大会の途中で右手中指のマメをつぶし「ボールが投げられない状況になっていた」と言う。決勝当日、台風の影響でプレーボール直前の甲子園は豪雨に見舞われた。桑田は雨天中止を信じたが、33分遅れで試合開始。PL学園は練習試合で圧勝していた桑田真澄に打ち勝つのです。

取手二に訪問

桑田が取手二高に訪問した理由は下記がだそうです。

取手二の野球は、僕がそれまで知っている野球観とは全く違いました。そこで彼らはどういう環境で、どんな練習をしているのか、自分の目で確かめたいと思いました。

取手二の「のびのび野球」からは、失敗を恐れずプレーし、笑顔で野球を楽しむというスポーツの原点を再確認することができた。野球に取り組む際の多様性を肌で感じることができた。桑田は、その後の野球人生でも生きる大きな学びを得たそうです。

高校時代のPL3年生時代は元西武の渡辺智男に選抜で決勝で敗れる

佐々木主浩が、”投手としては別格であり、桑田とかもいたけど一番すごかったのは智男”という渡辺智男にやぶれています。

この試合、渡辺智男桑田真澄に完勝したが、その後は袂を分かった感じですね。

プロでも渡辺は活躍しましたが、西武黄金期を支えたものの、怪我で泣かされ長くは活躍ができませんでした。

夏の甲子園では優勝

渡辺が夏の甲子園は出場ができなく、決勝戦で宇部商業高校を下し優勝を果たし、甲子園のレジエンドとなったのでした。

桑田真澄の甲子園通算成績!

甲子園での通算勝利数は吉田正男に次ぐ歴代2位で学制改革以後は1位(203敗)。

「夏の甲子園の優勝投手はプロで大成しないと言われていますが、桑田がプロで173勝の成績を残した為、このジンクスも桑田によって破られた形となった。

  • 25登板 20勝(通算記録)3敗  投球回数197 2/3 自責点34 防御率1.55
  • 26試合 104打数37安打 打率.356 本塁打6(通算記録)
  • 甲子園勝利回数は歴代2位。甲子園出場可能回数が6回から5回となった学制改革以降での勝利回数は1位

桑田は甲子園からプロを意識していた

甲子園ではカーブと直球しかなかった

甲子園では、「(カーブ以外の変化球も)投げえよ。絶対に抑えられるから」と清原和博が言ったそうです。

だが、エース桑田は首を振り続けた。清原が苦笑しながら一塁へと帰る。「頑固やなあ」とつぶやきながら。桑田は直球とカーブだけで勝負していた。

練習ではスライダーとかフォークも投げていました。紅白戦で投げたら、面白いように空振りを取れた。でも、高校時代は直球とカーブしか投げないと決めていた。これで勝てないなら、レはプロでは通用しないと。プロでエースになりたかったから、あえて高校時代は直球とカーブしか投げなかった

高校時代は自分の力に過信してしまい、バシバシと得意な球を投げようと思いますが、桑田くらいの選手になると将来のことを考えているのですね。

PL学園恩師の中村監督も

「甲子園で20勝を挙げる投手はもう出てこないでしょう。しかもあえて直球とカーブしか投げなかった。1年生であれだけの球をほうる投手は桑田以外にみたことがない」

逆算して物事を考える

単に投げ込みや走り込みに没頭するのでなく、目標から逆算して考えることです。あのころから、甲子園で再び優勝するには何が必要なのかを逆算して考え始めたんです。

連戦になると疲れがたまって、思うような投球ができない。優勝するには大阪では4連投、甲子園では3連投。その日程をクリアするにはどうしたらいいかなと逆算する。

確かにこの考えが、効率的な考えを自然と生み出したのでしょうね。

総合力を意識

PL学園で190センチクラスの選手2人を目の当たりにした時に「普通に野球をやっていては自分はこのまま終わってしまうな。彼らと競い合っても駄目だ。自分は自分らしさを大切にしよう」と強く感じたそうです。

そこで自分らしさとは何かを考えた時、それは「総合力」だと言う答えにたどり着いたんです。

投げて、打って、走って、そしてメンタル的にも高みを目指して、その総合力で勝負しようと思ったんです。

だからこそ、野球以外のことも大切だと感じて、そこから勉強をするようになり、色々と本を読むようにもなりました。その結果、判断力、忍耐力、分析力、そういった色々なことを学べたと思います。

清原和博との出会いがなかったら桑田真澄の努力は無かったのでしょうか。体が小さいなかで活躍するにはどうすれば勝てるのか考えるハングリー精神はどうして生まれたのでしょうかね。

高校時代から栄養学・休養・練習のバランスを意識していた

桑田は高校時代から、練習・休養・栄養の3つのバランスを大事にしてきましたそうです。練習して、栄養を補給して休養をとる。そして万全の状態で次の試合に臨む。野球には走・攻・守というバランスがあるように、上達するためにもバランスが必要です。練習では、時には量をこなしてフォームを覚えることも大事なんですが、たくさん練習しすぎて疲労が残ったり故障しては力を発揮できな井と考えていたそうです。

無駄なことをしても、疲れるだけです。お腹が空くだけです。大事な場面で一球を無駄にしないためには、日頃から集中して、準備、実行、反省する習慣が大切です。

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まとめ

桑田真澄は本当の天才に思えるかもしれませんが、努力の人間です。

巨人の先発陣がさえないこともあり、桑田への現場復帰の声が大きく上がっています。

とても頭がいい選手なのですが、桑田の考えに若い人はついていけるのでしょうか

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