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木村拓也の嫁は由美子!木村恒希!結婚!倒れる瞬間動画!死因!家族構成!キャッチャー!息子・娘

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ジャイアンツ

巨人・木村拓也の嫁は由美子!木村恒希!結婚!倒れる瞬間動画!死因!家族構成!キャッチャー!息子・娘

この時期の巨人対広島戦といえば、ユーティリティプレーヤーの故・木村拓也さんのことを思い出します。

広島と巨人どちらのOBか論争が起こるほどの選手でした。

木村拓也さんはスタープレーヤーの称号でもある打率3割やゴールデングラブ賞も獲得していませんが、本業の捕手を始めいろんな守備を巧みにこなす上、「俊足・強肩・巧打」と三拍子揃ったユーティリティプレーヤーとしては「球界No.1」と呼ばれた選手でした。

元「SMAP」の木村拓哉さんと漢字一文字違いであることから、「キムタク」の愛称でも親しまれていました。

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巨人・木村拓也の嫁は由美子!木村恒希!結婚!倒れる瞬間動画!死因!家族構成!キャッチャー!息子・娘

SMAPのキムタクとは親交もあり。亡くなった後は追悼試合が行われました。

出身地 宮崎県宮崎郡田野町(現:宮崎市)
生年月日 1972年4月15日
没年月日 2010年4月7日(37歳没)
身長 体重 173 cm 75 kg
投球・打席 右投両打
ポジション 内野手、外野手、捕手
プロ入り 1990年 ドラフト外
初出場 1992年9月29日
最終出場 2009年10月12日
経歴 宮崎県立宮崎南高等学校→日本ハムファイターズ (1991 – 1994)→広島東洋カープ(1995 – 2006)→読売ジャイアンツ (2006 – 2009)
監督・コーチ歴 読売ジャイアンツ (2010)

結婚!嫁・奥さんは由美子さん

木村拓也さんが結婚した嫁・由美子さんは一般人です。

家族の構成!シングルマザー

奥さんは、由美子さん。

長男の恒希さん。

妹の生吹(いぶき)さん。

弟の俊生(としき)さん

奥さんもシングルマザーとして子供3人を育てていくのは大変だったと思います

『ズームイン!!サタデー(日本テレビ系)』に木村拓也さんが出演した際に、家族も映ったようですが和やかな仲の良い家族だったようです。

2014年8月28日に東京ドームで行われた巨人対阪神戦にて、木村拓也さんの家族が広島から上京して試合前のベンチを初めて訪れていました。

軟式野球で父と同じ二塁を守る中学3年生の恒希君(15)は、阿部とキャッチボール。「選手の皆さんが優しくしてくれて、うれしかったです。(阿部に)『頑張れ』と声をかけてもらいました」と笑顔を見せた。

 妻の由美子さんは「主人がここで頑張っていたんだと、すがすがしい気持ちで球場を見ることができました。子供たちとも『絶対に優勝できる』と話しているんです」と声援を送っていた。

子供は?息子と娘

木村拓哉さんが亡くなったときはお子さんがまだ小さかったのにいつの間にか立派に成長されてます。

長男・恒希(こうき)

2010年4月24日に東京ドームで行われた追悼試合にて、当時10歳だった木村拓也さんの長男・恒希さんが始球式を務めました。

小学5年生の小さな体ながら恒希さんはしっかりとした球を投げ、キャッチャーミットのど真ん中に吸い込まれてストライクを取りました。

恒希さんにとって父・木村拓也さんは幼少期から憧れの存在であり、小学2年生からソフトボールを始めて父と同じ捕手をしました。

恒希さんは中学校に上がると野球部に所属して、木村拓也さんが現役最後に守っていた二塁を守り、広島県立廿日市高等学校では二塁・三塁・遊撃を守り、捕手転向を勧められましたが膝を故障して手術をリハビリに9か月間要しました。

高校3年最後の夏は5番で一塁を守り、木村拓也さんと同様にユーティリティプレーヤーとして活躍し、父と同じ左打ちまで身につけていました。

長女

バスケットボールをやっているようです。

高校を卒業したあと、大学に進学したのか不明ですが、高校生の時はバスケットボール強豪校に進学されており、バスケットボールに打ち込んでいました。

現在も続けていたのなら、バスケットボール名門大学に進学したのかもしれませんね。

次男

生吹さんと同じく、バスケットボールに打ち込んでいるそうですよ!

キャッチャー!捕手のキムタク木村拓也

【プロ野球】キャッチャー キムタク(ダイジェスト)

球史に残る名シーンといわれる「キャッチャーキムタク」

2009年9月14日のヤクルト戦で、鶴岡から交代した加藤健が頭部に死球を受けます。捕手経験があった木村に白羽の矢が立った。原辰徳監督は捕手起用のために木村を探したが、加藤が退場する前から出番を感じた木村は、すでにブルペンに行き、捕り慣れていない変化球を捕球する練習を行っていました。

捕手としての出場は広島時代の1999年7月6日の横浜12回戦に同じく「急造捕手」として出場して以来10年ぶり(3716日ぶり)でした。

倒れる瞬間!死因!くも膜下出血動画

2010年4月2日、対広島戦(マツダ)のノック中に倒れた。 病院に運ばれ、くも膜下出血と診断された。 2010年4月7日午前3時22分、意識が戻らぬまま、死去。

木村拓也コーチが倒れる瞬間をカメラがとらえていた!!!

原辰徳が追悼文

原監督はキムタクに信頼を置いていました。追悼文ではこう話していました。

誰に指示されなくてもチームの中での役割を考えて、練習し、10年ぶりのキャッチャーをこなした君に、ジャイアンツは本当にいいチームになったと感じたものです。

日ハム・広島・巨人の3球団

どこでも守れて右左守れるユーティリティプレーヤーは杉谷拳士・上本崇司がいますが元祖はキムタク。なぜユーティリティになったかは捕手の出場機会に恵まれていなかったことがあります。

日本ハム時代「外野手」

1990年オフに捕手としてドラフト外で日本ハムファイターズに入団。しかし、出場機会に恵まれず1992年に俊足と強肩を買われて外野手に転向。

広島時代「内野」「スイッチヒッター」

1994年オフに長冨浩志投手との交換トレードで広島に移籍。正田の後釜候補として二塁手に就き、内野の守備も兼ねるようになる。また1997年よりスイッチヒッターデビューした。それ以降はユーティリティプレーヤーとして名前が知られるようになりました。

2004年にはアテネ五輪まで出場しますが、出場機会が減り自ら志願して2006年にはまたしても巨人にトレード。江夏豊が大きな損失をしたとコメントしていました。

巨人時代

戦力が充実している巨人に移籍したことで本人は当初困惑していたようですが、李承燁や原俊介の離脱によりセンター・サードのポジションに。2007年には原辰徳に「今年、タク(木村の愛称)がいなかったらと思うとゾッとしますね」と言わしめました。

2009年には引退し、2010年にはコーチとして巨人に残ります。

 

まとめ

原さんも監督復帰しましたし、広島戦で勝利してキムタクに思いを届けたいですね。

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